ぼくの見ている世界

感じたことを記録として書いていきます。

西宮市民として

今日渋谷区と世田谷区で同性パートナー証明書が受け取れるようになりました。
西宮市に声をととどけようと思いました。
実際に送ったものをメモとして残しておきます。


以下

ご担当者様
同性パートナー証明が渋谷区、世田谷区で発行されることとなりました。私は生まれてからずっと西宮に住んでいる宮っこの1人です。
大好きな西宮を離れたくありませんが、近隣の他市町村で 同性パートナー証明書の発行や、LGBTに関する支援施策が始まったら、私は嫌でも西宮市を離れなければならないかもしれません。
なぜなら性的マイノリティに関する施策は私たちの生活に関わるものであり、当たり前の権利を認めてくれるものであり、私たちが生きていていいと思える証でもあるからです。
私とパートナーは1年半前から西宮市で2人暮らしを始めました。付き合って6年目の同性カップルです。部屋を借りる時も、パートナーのことを友人と偽り家を借りました。1件目の営業の方には"男同士だったらきもちわるいよね"と言われ、キャンセルしたこともあります。
以前働いていた大阪のIT企業でカミングアウトしたところ、職場にばらされ、突発性難聴になりました。西宮のハローワークに通っていましたが、勇気を出してカミングアウトすると”そんなこと仕事には関係のないプライベートなことだ"と言われました。あまりのショックにそのあと2年間社会に出ることができず、短期バイトで生活をつなぎました。
今私たちはほかの住民の方とも挨拶をする程度に親しくしていますが、何かあった時にこのまま西宮に住んでいて大丈夫なのかと不安でいっぱいです。
今年の5月パートナーが卵巣嚢腫になりました。それは、パートナーがいわゆるトランスジェンダーで婦人科にいくハードルが高かったからです。そして手術のとき、病院で私を家族として扱ってもらうためには、カミングアウトしていないパートナーの両親に2人で立ち向かうしかありませんでした。
もしもまた阪神淡路大震災のような災害が起こったら。私は阪神大震災のとき小学3年生でした。今でもあのときのことが鮮明に残っています。3.11のとき、私とパートナーは東京にいて、私は二回目の震災にあいました。3回目の震災がおこったら、私はパートナーと二人でどこへいけばいいのでしょうか。避難所で家族として扱ってもらえるでしょうか。避難所で男女に分かれたトイレにパートナーは入れるでしょうか。私たちはがれきの中でどこにも行けず、次にくる余震に怯えなければならないのでしょうか。もしパートナーががれきの下敷きになったら、私は家族として面会させてもらえるのでしょうか。住民票がいっしょになっていない中で、離れた場所で被災した場合、私に連絡がくるのでしょうか。
淀川区ではLGBT支援宣言があり、渋谷区、世田谷区でも条例レベルで取り組みが進んでいます。行政の力は命を救うことだと思います。お金のかからないことでもかまいません。例えば、トイレにレインボーのステッカーを貼る、職員研修をする、できることからでかまいません。月に1回コミュニティスペースを開放するのでもいいです。西宮市教育委員会が発行したセクシュアルマイノリティについての冊子とポスターは私たちに大きな希望を与えてくれました。
それでも、西宮に住む、私の大切な仲間たちと活動しながら、私は日々思っています。
“もしも”の話かもしれませんが、”いま”そのことで心が苦しく、毎日が辛いです。自死した友人が家族に受け入れられなかったことを、その子が性別のことで仲間にもいえず悩んでいた姿を忘れた日は1日もありません。
“まだ早い”、そう母校の先生に言われたこともあります。
それでも”まだ早い”と言っているうちに、失っている命があります。学校に行けなくなっている仲間たちがいます。子どものことで悩んでいる親がいます。立ち上がろうとしてくれている先生がいます。
私は西宮でこれからも暮らしていきたいです。
どうか1日もはやく、西宮市でLGBTに関する施策が取り組まれることを祈っています。
市政だよりがレインボーになって、ポストに入っている日が来て、涙できる日を待っています。
以上