ぼくの見ている世界

感じたことを記録として書いていきます。

「死にたい」と言われたら

「死にたい」と言われた時の対応を友人たちに伝えておこうと思ってサイトを探していたんですが、なかなかいいものが見つからず。。唯一わかりやすく書かれていたサイトがあったので紹介します。

ぼくのまわりには希死念慮の高い友人たちが多い分、ゲートキーパーの知識もある人が周りには多いです。

死に敏感だからその分自殺対策の研修を受けたり、自分で勉強したりしてきたつもり。

阪神淡路大震災で同級生を失ってから、友人を自死で失ってから、ぼくにとって「死」は生きることと同じくらい近くにあるものです。この数年自分自身が「死」を選ぶことがあるのではないかと思うことが何度もあり、自分以外の友人に声をかける時もしっかりと考えて言葉を選ばないといけないと思うようになりました。

むかしは、希死念慮が高い友人がいたら自分もパニックになって「すぐ駆けつける!」とか「いまどこ?!」とかゆってたような気がします。でもそれはその人を追い込んでたんだといまならわかるようになりました。嫌な対応をしてしまった過去の自分、、、、猛省です。。。
自分が鬱になってそれは「心の病」ではなく「脳神経のコントロールができない状態」であるということを知り、「心の持ちよう」とか「気持ちの切り替え」なんかではどうしようもない病気なんだとわかりました。それでも世間は「心が弱い」とかいう認識の方がまだまだ強いように感じます。

ぼくが今までされて特に辛いと感じたことは以下のことです。言ってくれた人は良かれと思ってくれてもぼくの場合は余計にしんどくなったことです。ぼくはASD(自閉症スペクトラム),ADHDなので、人より過敏にとらえがちな部分もあるということと、人によって違うと思うので、その点は強調しておきます。あくまでもぼくの場合は。

*話を逸らされる。例えば「ご飯食べた?」と言われて「食べた」と答えたら「なら大丈夫やわ」みたいに返されたこと。全然この人ぼくのこと心配してないなと思った。マニュアル通りに対応された感じに捉えてしまった。
*「余裕があるから鬱になる。ぜいたくな悩み」と言われたこと。余裕がなかったから鬱になったんやで、と思った。
*「死んだらあかん!」とメールが送られてきたこと。「あかんことをしている」と怒られたように感じた。
*「鬱について人前で言いたくない」と言われたこと。自分は恥ずべきものだと思われていると感じた。
*「薬をやめたら治ったから、薬を飲まないようにしてみたら?」と自分の経験を言われたこと。あなたは薬をやめて治ったかもしれないけどぼくは薬のおかげで生きれているので薬を飲んでいることを否定されて辛かった。
*「そこの先生はあんまりよくないんじゃない?病院変えたら?」と言われたこと。相性が合わなくてもそこにいくだけでも必死なのに、その頑張りを否定されたように感じた。
*「運動でもしたら?」と言われたこと。運動する気力もないくらいなんですけど、と思った。運動して治るんだったらとっっくに治ってる。
*「楽しいことでも考えたら?」と言われたこと。楽しいことも考えられないくらい脳神経がやられているということを全くわかってくれていないと思った。これを言われることが一番多いですが、その度にこの人には相談しないでおこうと思います。
*「大丈夫?」と聞かれること。大丈夫じゃないからしんどいという前提を忘れているのか、、、と思う。これも言われることが多いです。
*「治るし大丈夫!しばらくゆっくりしたらいいよ」と言われること。大丈夫と思えないし、ゆっくりする方法がわからないからしんどいのに、、、、と思う。生きる未来が想像できないのに、しばらくゆっくりして元気になっている自分なんて想像できない、、、。
*「もっとひどい人もいるよ」もっとひどい人もいるかもしれないけど、ぼくもいましんどいねんけど、と思った。
*「前から鬱だったんじゃないの?」これが一番ショックでしたね。前から鬱であってもなくても、現在(いま)しんどいことをなぜ受け止めてくれないのか、、、と思いました。
*「いままでたくさん頑張ってきたんだからこれからも頑張れるよ!」頑張り疲れたからもう頑張りたくないんだけど、、、と思ってしまいました。まだ頑張らないといけないのかと思って余計生きるのが嫌になった。
*着信が何度もきた。怖すぎて電源を切りたくなりました。電話にでれたらこっちからかけてるがな、と思ってしまいました。一回着信があってそのあとメールでフォローしてくれたらいいんですが、ただただ電話だけ来ると気が狂いそうになりました。
*"素敵なことば"が書かれた勇気付けられる写真やメッセージが大量に送られてくる。鬱の身からしたら恐怖ですね。そんなもので勇気付けられてたら鬱にならないわ、、、と自己肯定感がどんどん下がっていきました。

などなど、、、、まだまだありますがこの辺にしておきます。もちろん!!良かれと思ってやってくれているのは100も承知なんですが、自分が鬱になってされる側の気持ちがよくわかったので、書いてみました。

助かった対応も書いておきます。ぼくの場合ですが。
*「しんどい」と電話をしただけで、「わかった野菜送るわ!」と自家栽培の野菜を送ってくれたこと。それを食べられる気力があるかどうかは置いといて嬉しかったですね。
*何も言わずにハグしてくれたこと。ハグは嫌なひともいるかもしれないけど、よく事情をわかってくれているひとがただだまってハグしてくれたので、出なかった涙が出て泣けました。泣くって大事。
*とにかく話を黙って聞いてくれる。あいづちも打たずにただただ、「そうか」って言ってくれること。ただ受け止めてくれている感じがして安心できる。冷静になれる。
*「私は死なないでほしいし、生きていてほしいけどそれは私の勝手な希望だからね」と言ってくれること。ただ「生きて!」「死なないで!」と一方的に言われると、自分が悪いことをしているように感じて、生きようと思えない自分を責めてしまう。ぼくの場合は、、、。
*「死にたいんじゃなくて死ねないから生きてる」と言って共感してくれたこと。相手もしんどい状況だから共感しあえて落ち着いた。
*たまに「調子どうー?」ってフラットにメールをくれること。その時の気分で「あんまりよくない」とか「ちょっと浮上してきた」とか冷静に答えられる。
*「今から家いっていいですか?」と聞いてくれる。「もう電車乗りますね」と状況を冷静にメールしてくれる。「家にまで来てくれようとしている」という気持ちが伝わり安心できたので「今日は大丈夫だから帰ってもらってもいいかな」と落ち着いて返事ができる。これが「今から行くわ!!!!!」とかだったら怖くて返事もできないかもしれない。家から逃げるかも。
他にもあったと思うけど、いまのところはとにかく冷静に聞いてくれること、「私は」死んでほしくないと主語を「自分」にしてくれることがありがたかったです。

ここからは最近ぼくと友人の間にあったことなんですが、

あるとき友人が「死にたい!ってまわりに言ったら"そんなこと言ったらあかん!"って言われて余計死にたくなる」って電話をかけてきました。ぼくはただひたすら、「死にたい!って思うんやったらぼくには言っていいよ」って言い続けました。それはありがたかったってあとからゆってくれたのでホッとしました。
「またリストカットしちゃった」って言われたら「そうなんやー、なんかあった?聞こか?聞かん方がいい?」って本人がどうしてほしいのか聞くようにしています。リストカットしている友達がいるっていうと「え!あなたもしてるの?!」とか過剰に反応する人がいますが、自傷行為をしていても必死に生きているんだし、「そんなことする友達がいるなんて、、、、」みたいに友達のことを言われるのはいつも嫌だなぁと感じます。自傷行為だっていろいろあるし、血がでるものがあれば、見えない自傷だってある、心の中で嫌なシーンを思い出し続ける行為だって自傷だと捉えることもできる。なんでも見た目に見えるもの、特に血が死を連想させるから怖いんだと思うんですが、それを否定したら、その人の生きようとする力を否定するような気がします。ピアスをたっっくさんあけていても、タトゥーを入れてもそれがその人の生きる力になれるならいいやんってぼくは思うけど。いろんな考え方があると思うけど、少なくとも大切な友人のことを「そんなことする」って言われるのはぼくも傷つくなぁ。

ある相談員をしている人が「よく相談員は冷静に対応することが研修会で教えられるけど、いつものトーンじゃない方がいいときもある。すぐにでも駆けつけたいくらいだよ!って一緒に痛みを感じることで救えることもある」と言っていたのがとっても印象的で、共感しました。
それからある日友人が「もうだめだ、だれかに殺してもらいたい」と夜道を彷徨いながら電話をしてきました。ぼくもすごく調子の悪いときで、メールを続けていたんですが、3度目の電話のときにぼくも一緒に泣きました。「死なないでほしい。お願いだからもう一度会いたい。死んだら悲しい。でも消えたいって言っていいよ。辛いよね、本当に辛いんだよね。」って言って二人で号泣しました。ぼくが泣いたから、ぼくが電話したからその友人が救えたなんて1ミリも思ってないけど、あとでその子が「あのときの電話は忘れないと思う」みたいなことを言っていて、なんだか安心したのを覚えています。

人の命を救う方法に、正解なんてないと思います。どんな方法もどんな声かけも悪気があって行われるわけじゃないし、ただ、ひとつ、命を救う方法や、声かけの方法を学ぶ機会が少ないことが残念だ思います。もっと死について考えたり、「死にたい」と言われたら、を想像する機会があってもいいと思う。
この数年、何度も消えたいと思ったことがあったし、まわりにも消えたい、これ以上生きれないと思う友人がうようよいる状況で、いろんなことを学びました。そして自分が本当に死ぬ「方法」を考えだしたとき、まわりの人たちがとった行動で、自分がどうしてほしかったのか、どうされて嫌だったのかを考える機会を持ち、また学びました。それを記録しておこうと思います。相手に嫌な行動を取られてしまうと、もっと死に近づくことも学びました。死にたいわけでもない、でも生きる気力もわかない。そんな時にすがる思いで出したヘルプに対して、多くの人は「死にたいと言われたらどうしたらいいか」という知識がないので、「死んだらあかん!」とか「そんなこと言ったらあかん!」とか「警察に電話したから!」とか「親に電話するから!」とかパニックに陥ってしまうんだということがわかりました。

鬱になったら前もって、相談する可能性のある人に、もし「死にたい」サインを出し始めたらどうしてほしいのか事前に伝えておくことはすごく重要だなと思いました。それくらいいまの社会では「死」について語ることはネガティブなことで、「言ってはいけないこと」にされているような気がします。ぼくが今回感じたのは「死にたい」と言えることはすごくいいことだと思いました。状況にもよるかもしれませんが。「死にたい」と言えている間は死なないから。そのメッセージをどう受け止めるかがすごく大切なんだと思います。その受け止め方をもっと学びたいとも思いました。

今回ぼくが"ヘルプの出し方を誤った"ので、友人がパニックになり警察に電話するという騒動がありました。ある人はぼくの"ヘルプの出し方が悪かった"、というかもしれませんが、コントロール不能な脳神経が窮地に立たされたとき、冷静にヘルプの出し方を判断できるわけないと思います。ぼくは「死にたい」と言ったわけではなかったけれど、友人は「死にそう」だと捉えたから警察に電話したんだと思います。本当に真剣に電話してくれたんだと思います。そうじゃないと無くなる命だってあるから、いい時もあると思う。あくまでも僕の意見ですが、今回は警察に電話する前にできることはなかったのか考えてほしかった。

ぼくの場合ですが、通報を受けた警察はまず家族ではなく、大家さんに電話をしました。深夜1:20に大家さんのチャイムを鳴らし、両親を呼び、チャイムを20回以上鳴らしました。こんなことを自分が体験しないと分からないことだったので、すごく勉強になりました。

ぼくは親に心配をかけたくない、かけられない、アダルトチルドレンというやつだそうです。だから親には絶対に鬱がひどいことを知られたくない。「気の持ちよう」とか「病院行った方がいいよ」とか言われたくない。親から浴びせられる言葉で傷つきたくない。とにかく親には自分の状況を知られたくなかった。「まだ元気」なふりをし続けたかった。それが自分を保っていたから。でも今回のことで、ぼくの鬱は結構ひどいのかもしれないということがバレてしまったと思う。これから先親には頼りたくないし、もし状況が悪化しても親にだけは言わないという決意が生まれてしまいました。

もしセクマイであることをカミングアウトしていなかったら、家に親が来るだけでも恐怖だったと思う。うちはカミングアウトしていたし鬱であることも伝えていたから、「帰ってほしい」その一言で済みました。でもそうじゃなかったら。警察から親を呼び出され、「絶対に知られたくない」ようにしていたことを知られるかもしれない恐怖で、ドアを開けられてすべてがバレる前に「死」を選ぶ人もいると思う。警察を呼ぶ、親に連絡をするということがどれほどの恐怖を与えることなのか、もし、「死にたい」と言われたら親や警察に連絡を取ろうとしている人はほかに方法がないのか、考えてみてほしいとぼくは思いました。

そして、最悪なことに、大家さんから父に連絡があり、「近所からクレームも来たので、最悪退去、合鍵を親が持つようにしてください」と言われました。ぼくは、大家さんに電話をして、「ぼくは健康体でなにも問題ないです、友達がパニックになって電話をかけてしまったようなんです、申し訳ございません」と謝りました。「自殺するって聞いたから驚いた、大丈夫なの?」って言われて、必死に笑顔を作りながら「深夜に対応していただき、本当に申しわけありませんでした。本当に問題ないので今後も住まわせてください。申し訳ございません。」と何度も謝りました。鬱なのに健康ですと嘘をついて笑顔をつくることも、頭を下げて謝ることも、十分傷ついているぼくの自己肯定感をさらに下げることになりました。

そこでぼくが感じたことは「もう二度と友達に相談したくない。死ぬ時は誰にも相談したくない」ということでした。それは俯瞰して考えるとすごく恐ろしいことだと思います。ぼくの場合ですが、その時思いつく限りの言葉でヘルプを出した→周りがパニックになった→相談してはいけないのだと感じた→相談したくないと思った→孤立する→死ぬというループになるなぁと思いました。

今後も相談したりヘルプを出すかもしれない友人や家族にもどういう助けが必要なのかを知っておいてほしいと思ってサイトを探していたところ、以下のサイトが一番読みやすかったので、もし「いつか消えたいけどだれかにヘルプを出すかもしれない」という人がいたら、前もって信頼できる人に、「死にたいと言われたときにどうしてほしいか」を伝えておくことは、自分ができることの一つだと思いました。

普段からセルフケアをすることも重要ですが、「消えたい」「生きるのが辛い」ときに言われたら嫌なこと、されたら嫌なことを伝えておくことで、二次被害を避けることができるのかと思いました。

今回はたくさんの人が連絡をくれて、上に書いた「助かった対応」をしてくれた人がたくさんいて、すごく助かりました。
なんかまとまりのない記事になってしまったけど、記録として。また考え方も変わるかもしれないけど。


www.kyoto-jsc.jp