ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

ぼくとスピーカー

母校関西学院大学三田キャンパスのチャペルにて、15分という短い時間で、自分が何を後輩たちに一番伝えたいのか、絞りに絞って話ししてきました。

2010年に始めた講演活動を去年4月からおやすみして、最近少しまた話し始めたけど、やっぱりぼくの原点は母校にあります。

think globally, act locally...

そして、フィリピンの日曜礼拝でのぶさんが言った、

What TIME is it?

ぼくは講演活動をこれにて終了したいと思います。

セクマイを切り口に呼んでいただき、多様な性だけでなく多様な生き方についてお話しできる機会があればきっとまた立ち上がるのだろうけれど。

いろんな講師やスピーカーがいる中、
2010年に10分間の体験談から始まったぼくのスピーカー、研修講師経験は計り知れない大きな経験になりました。

スピーカーをやりたい人、聞きたい人はこの10年で考えられないくらい増えました。

その中でよく「スピーカーしたい」と相談を受けます。

とにかく自分以外のセクシュアリティの人やセクマイ以外のひとに会って学んで同行してください、と伝えています。そしてどうか自分がいくら勉強したってわかるのは自分のことだけで、自分がどれほど無知な存在かを忘れずに話してくださいと。そしてきちんと歴史を学んでくださいと。

スピーカーをするのはすごい勇気や体力がいります。きっとそんなにエネルギーを使わずにできる人もいるんだろうけど。
なによりも「人権」が土台にあるスピーカーになってほしい。
「人権」を土台にして話している人は、きっと「スピーカーをやりたい」って感じじゃないと思う。少なくともぼくはスピーカーをやりたいのではなかった。自分の無知さ、恥を晒す感覚だった。自責の念だった。そして同じ思いをする人がどうか1人でも減れば、ぼくが傷つけた誰かや自分を償うことになるのではないかと思った。

だからスピーカーは楽じゃない。

研修講師はエネルギーがいる。

命の切り売りは正直しんどい。

ラッキーなことに、縁がぼくをたくさんの場所につないでくれた。
西宮市の教育委員会で毎年全教員に配られているリーフレットの制作に2年間かかわり、西同教では分科会を毎年開いてもらえることになった。
関学レインボーウィークという名前を提案させてもらい、毎年はためくのぼりと全教職員に配られるステッカーを作り、何度も登壇し、アンケート調査をし、後押しさせてもらえた。いまでは学長、院長が挨拶をし、具体的な学内改革につながる政策につながっていった。
淀川区LGBT支援事業が始まったときから2016年の4月まで、企画書を書きあげ、事務、運営、提案、企画、スタッフ、すべてさせてもらえた。だれでもダウンロードできるようにすべて作ったものをホームページで公開した。淀川区の取り組みが記録に残るように、他の自治体がまねできるようにすべてニュースレターにして残してきた。
そして個人ではいくことのできなかった、東北など遠方の企業の方々、大企業の方々に研修講師をしたり、提案したり、イーラーニングを作ったりする機会をもらえた。その度に地元のコミュニティに事前に連絡をとり、企業の方々に紹介して回った。スピーカーをするひとに知っておいてほしいことをスピーカーむけの冊子に書いた。
そこで学んだことをつなぎたくて、尊敬する団体に助成金の提案をして輪が広がっていった。
ここには書ききれないことがたくさんあり、たくさん学んだ。
そして学んだことを会ったひとに伝え続けてきた。
10年前に蒔いた種は意外なタイミングで芽をだしてぼくを驚かせた。そして涙がでるほど悔しかったり、涙がでるほど嬉しいことがたくさんあった。

ノウハウが知りたいひとには、いまでも必死に語ってしまうけど。

結局はいかに自分のことを伝えるかじゃない。

いかに相手のことを考えるかだ。

スピーカーでも、ふだんの生活でも一緒。

話す相手の気持ちをどれだけ考えるかで、
伝えたいことの浸透度は変わる。

ぼくはスピーカーを通してそれを学ぶことができた。

企業相手でも、行政相手でも、そのひとはどんな地域のひとなのか、コミュニティはあるか、地元の空気感はどんなか?

学生相手でも、笑ってる裏側にはなにがあるのか?どんな子たちか?先生との関係は?

先生はなにに困っているのか?何を知りたいと思っていてなにを恐れているのか?

教えるんじゃなくて、教えてもらう。
自分の無知の知と向き合う。

それがぼくのスタイルだったと思う。

 

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