ぼくの見ている世界

感じたことを記録として書いていきます。

ぼくはメインストリートを歩かない

※なんとなくメインストリームじゃなくてメインストリートってゆってます

あることがあった
辛かった
だから今日は
自分のために書く

ぼくは
オフィシャルな雰囲気の場所が苦手だ
きちんとあいさつをし
きちんとした身だしなみをし
きちんとした作法を知っている
それはすごく大切なことだし
自分もできるかぎり自分の思う限りできるように心がけている
だけど
それが働くってこととつながったとき
ぼくはメインストリートで歩けないんだって思う
ぼくは
女性だとしたら、きちんとした女性の身だしなみはできない
お茶汲みはできたらいいかもしれないけど、お茶汲みを下っ端にさせるような会社がきらいだ
社長であれだれであれお茶くらい自分で用意すればいいだろう
朝礼が苦手だ
朝礼をしてみな規則正しく挨拶をし
お礼をいい謝罪をする練習をする
ただしく席につき、ただしくそこにいる
それが苦手だ
その島のひとたちと他愛のない話でもりあがり
週末の話をする
苦手だ
でもそこが自分が自分らしくあれて安心できる場所だったら
進んでできる
仕事をがんばりたい
その会社に貢献したい
その団体がやってることに賛同できる
それだったら
ぼくはすすんで挨拶をし
自然に笑顔になる
死んだ目をして電車にのらずにすみ
10分前に会社にいくかもしれない
どうやったらその環境がよくなるのか考え
本を買うかもしれない
プロモーションビデオを作ろうと思えば
一眼レフを手にとって得意の写真をとろう
ムービーを作るスキルだってある
字幕をつけるために要約筆記だってできる
独学だけどデザインだって長年やってきた
ひとまえで1時間半くらいなら余裕で話せる
ラジオで臆せずに話したりもできる
自分の好きな格好でいさせてくれれば
にこにこ愛想わらいだってできるかもしれない
ギターをおひろめするかもしれない
だけど
ぼくは
たとえば「お茶汲み」をしなければきちんとした社会人と見なされないような場所にいくことはできない
それはぼくはきちんとした社会人ではないということだろうか?
それはぼくはきちんとした会社員ではないということだろうか?
不安定な生き方をすることになるのだろうか?
ぼくは安心してただ毎日を過ごしたい
それはある日友人が言い放った「高望み」なのか?
ぼくは高望みしているのだろうか?
いままで必死に生きてきた
パソコンスキルだってある
団体運営にだって端から端まで携わってきた
イラストだって書けるし文章だって書ける
だけどぼくはどうしてこうも毎日「不自由」を感じているのか?
どうしてぼくは将来を描けないのか
ぼくはメインストリートの人間じゃない
ぼくは女性じゃない
ぼくは強い人じゃない
ぼくは簡単に悪口を言ったりできる方じゃない
ぼくは発達障害
ぼくはセクシュアルマイノリティ
ぼくは「普通」じゃない
ぼくは「普通」じゃない自分でいたい
ぼくは「普通」を高望みなんてしていない
ただぼくは笑って生きていきたい
そのために「お茶汲み」は必要なスキルなのか?
メインストリートを歩くスキルは必要なのか?
例えばピアスを10個開けている友人はだめなやつなのか?
例えば全身カラフルで派手な友人は社会人としてやっていけないのか?
ぼくは彼らのいいところをたくさん知っている
だれよりも頑張りやさんで忍耐力がある
だれよりいい笑顔を見せてくれる
だれよりもいい接客をするだろう
だれよりモノに思い入れがあって
人が大好きだったりする
ぼくが「お茶汲み」を肯定したら「友人」たちを否定することになると思った
そしてぼくのことも否定する
ぼくはいまのままでいい
友人たちもいまのままでいい
長所を伸ばせばいい
長所を知ればいい
長所がみんなある
どうしてメインストリートを歩かないと生きていけないのか
ぼくは生きて死ぬなら「お茶汲み」をしている間に死ぬくらいなら
自分らしく生きているうちに死にたい
ぼくは「自分」をまた見失いそうになった
友人が肩を叩いて目を覚まさせてくれた
ぼくはぼくらしく生きて死んでいきたい
ただそれだけのこと
ただそれだけのこと