ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

いつか自分が性暴力被害者だったことをカミングアウトしたい

いままで自分がそうだなんて考えたことなかった
それは愛情で
それは不器用な表現で
それは男女なら当たり前のことで
それは口に出してはならず
それは友達に相談するようなことではなく
それは束縛と言う名の愛情で
相手のいることだから
相手のいうことを聞くことが大事で


そんな思い込みから何年経ったと言えないのは相手がいることだから。


ぼくがセクシュアルマイノリティじゃなかったら、多分一生気づかずすごしていたかもしれない。
ある尊敬する先輩がある授業で高校生に話した。
「自分の性器を鏡で見たことはありますか?ぜひ見てください。なぜなら、もし何かあった時、正常な状態をしらないと傷ついているのか自分でもわからないから。」と。


ぼくは知らなかった。
ぼくが傷つけられていたことを知らなかった。

セクシュアルマイノリティのコミュニティで
好きな服装をしていいこと。
好きな話し方をしていいこと。
好きな人と遊んでいいこと。
好きな髪型にしていいこと。
そんなことを教えてくれなかったら、ぼくはきっと一生自分の「性」を、自分の「心」を傷つけられた数年間を知らずに生きて、そしてまた傷ついただろう。


レイプクライシスネットワークを運営している青森のお二人に出会い、青森までふたりに会いに行ったぼくの顔色見て、口には出さなくても、危険な状況に追いやられていると察してくださった2人の活動をそばで見聞きしていて、

ふと、今年くらいに、

あぁ、ぼくが受けていた愛情というやつは
性暴力というラベルを付けてもいいくらいのものだったのだと知った。

親もいることだし、きょうだいもいる。友人もいる。

口に出すことはとてもリスクが高いこと。


だけど、DVをし続けた祖父が天国へいき、なんとなく解放されたぼくは自分のきょうだいや、友達が同じ状況にあるのなら、それは愛情や束縛ではなく、性暴力なのだと知ってほしいと思うようになった。

あの時うけた傷は今になってズキズキと痛み、誰に知られることもなく、口に出すことも出来ず、ただDVだったみたいだという事しかできない。

もし今後匿名でなにか書ける機会があるのなら、ぼくは自分の経験を、だれかに知ってほしいと思っている。


今日はここまでしか書けない。
おわり。