ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

中学の時の白井弘一先生との再会と「人権家」

※語弊、誤解のないように白井先生と元パートナーに添削していただき、掲載しています。


2017年10月6日は忘れられない日になった。

ぼくは西宮市上ヶ原中学の時の社会の先生であり、学年主任の先生だった、白井弘一先生と夙川で4時間もの間「人権」について語り合った。

こんな日がくるなんてお互い思いもしなかった。

2年前の西宮市同和教育研究大会(西同教)でセクシュアリティについて西宮市の教育委員会からの依頼で発表をしていたら、偶然当時大社中学の校長先生をされていた白井先生がやってきた。

「もしかして、和香か?」


そう言った先生の変わらない抑揚のあるしゃべり方と見覚えのある独特な形のメガネに一瞬で自分の心は中学生の時に戻った。
2年前ぼくはうつのどん底に居て、その時は、先生の声を聞くので精一杯だった。活動をしているとたくさんの先生と再会する。

そして2年後。
ぼくはアパートから徒歩30秒の所にある安井小学校で大社地区の先生とPTAの方300名に講演をすることになった。そしたら安井小学校の校長先生と白井先生が話す機会があったらしく、安井小学校の校長先生が、白井先生に「今度小林和香さんに講演してもらうんですよ」と話したらしい。白井先生は驚いてすぐに人権担当の先生に名刺を託けてくださった。「白井先生から」と講演当日名刺を渡された。2年前は校長先生をしていたが定年退職後は関西大学で教職を目指す学生に授業をしながら、兵庫県人権教育研究協議会でお仕事をされているらしかった。

後日メールをしたら、すぐ電話があり、一度会ってしゃべろう、ということになった。
こんなことがあるだろうか。

何からこのブログに書けばいいかわからない。
とにかく2017年10月6日(金)はぼくの人生で忘れられない日になった。当日家に帰るなりパソコンを開いて、23:00から興奮のあまり元パートナーに電話をしながら、「今日の日のことを忘れたくなくて!」とブログの下書きを書いた。元パートナーに電話をしたのは、この日聞いた話が絶対ぼくだけに留めておくべき話ではないと思ったからだ。案の定、6年間連れ添い、たくさんの困難をともに戦い抜いた元パートナーは「話してくれてありがとう!」と興奮気味に答えた。ぼくたちは1時間半も興奮がさめないまま白井先生の伝えたかったことを、こうなんじゃないか、そういう意味なのかと話続けた。

そして、一息ついた今日2017年10月10日、重い腰をやっとあげて、その日の夜かきなぐった下書きをまとめようとしている。ものすごく長い記事になるけど、この10年間のセクシュアリティに関する活動と、31年間のぼくの人生にとても大きなことを教えてくれた日になったから、すごく長くなってしまった。

ぼくは白井先生といろんな話をした。
この日先生と会ってから4時間の間、いままでの空白を埋めるように、互いの歩んできた道を交差させるように、二人は話し続けた。中学を卒業してから29歳の西同教で再会して、それから2年たって、最寄駅で先生と4時間「人権」について語り合うなんて、こんな日が来るなんて思わなかった。そしてどんな人に言われるよりも、元「社会」の先生であり、「人権活動家」であり、定年退職後もなお「兵庫県人権教育研究協議会」で尽力されている白井先生の言葉には重みがあり、説得力があった。そして、いま、このタイミングで白井先生と話せたことが何よりよかった。

なかなか本題に入れないけれど、とにかく、タイミングよくぼくたちは再会し、握手をした。
そこでぼくなりに学んだことを記録しておきたいし、少なくとも周りで「人権」について活動している友人たちに読んでほしくてこうやってブログに書いている。

順番もむちゃくちゃな、支離滅裂な文章になると思うけど、ぜひ読んでほしい。

言ってもらって一番うれしかったこと。
「和香が"LGBT"という言葉はもう使いたくないと言っていて安心した。次のフェーズに入ったんだなと思う」というようなことを言ってもらえた。
ぼくは今年の5月に7年間続けた「LGBT」に関する講演活動をやめるつもりでいた。その時に行った「最後」になるはずだった講演はYouTubeにアップしている。
白井先生と話し合ったことととても通じているので、もし時間があれば見てほしい。
youtu.be
最後になるはずだった母校での講演でぼくは何度も学生たちに話した。目の前にいる300人もの立ち見ありで聞いてくれた学生たちに「みなさんが自分らしくあることこそが世界平和につながる」ということを。
ちまたに「LGBT研修」が溢れていて、ぼくも最初は「セクシュアリティ」にまつわる体験談などを話していたのに、気づいたら「LGBT研修」をしていた。何度も「かっこ」をつけているのは、それは「セクシュアリティを切り口にした人権についての研修」ではなく「LGBTとは何かを伝えるための研修」だったからだ。そういったものが今世間には溢れかえっていて、自分も「LGBT」という表記に疑問があり、「LGBTフレンドリー」なんて言葉は使わない方がいい言葉だと思う中で、自分はもう「LGBT研修」はしないと心に決めた。
その時の心情をブログに残している。

ofukumaru.hatenablog.com

2016年の4月に休職してから鬱がひどくなり、講演活動を休んでいた。そして2017年2月13日Facebookに「●スピーカー再開します●」というタイトルで投稿した。

●スピーカー再開します●
ぼくたちのやりたいスタイルで、ぼくたちのことがいちばん伝わるやり方で、信頼できる友人たちとスピーカー再開します。スピーカー経験は全員5年以上。100回以上、小学生から企業向けまで幅広く経験を積んできました。それをぼくたちのスタイルで、はじめてみます。2、3人からでもOK。ワークショップ形式もOK。大会議室でセミナーをするんじゃなくて、公民館の1室でお茶を飲みながら、同じ目線で、いろんなバックグラウンドのスピーカーといっしょに、話してみませんか。
・自分は先生やってるけど、実践につながる話を聞く場がなかなかないねん
・友達にカミングアウトされたけど、もっとちゃんと学びたいねん
・自分の働いている職場環境をもっとよくしたい
それをいっしょに考えます。話します。あなたの話を聴きます。それを無償でやるんじゃなくて、有償でやるのは、ちゃんとそこに責任をもってやりたいからです。もちろん無償ボランティアが責任がないというわけじゃないけれど、ぼくたちの人生の切れ端を見せることに、ちゃんと対価をもらうことを大切にしたいと思っています。


それでも講演活動は本当にしんどくて。続けていくことが自分を苦しめている、そう感じた。その前にこんな投稿もしていた。2017年2月9日にFacebookに投稿した内容を以下に載せておく。

今年ぼくがはっきりと決意したことがある。「LGBT」という言葉を使わないこと。「セクシュアルマイノリティ」という言葉を使う。10年前講演を始めた時の原点に戻る。ここ数年で日本の「LGBT」ムーブメントから「人権」という意識が薄まってきている気がしているから。去年の4月から断り続けていた講演講師依頼を今年から引き受けることにした。でも「今までの講演スタイルではありません」そうはっきり伝えるようにしている。もう講師依頼をされたら「LGBT」研修はやりません。「人権講演」をします。先日久しぶりに行った講演先の小学校でもらった感想文はこの数年やってきた講演の反応と全然ちがうものだった。これまでは「LGBTについて学べました、自分も行動していきたい」という感想が多かったのに、こないだの講演では「私はこんな経験をしました。だからよく伝わった」という自分の話を感想用紙いっぱいに書いてくれた人がほとんどだった。ぼくがこれからやっていくことは震災体験、海外での経験、、そこにセクシュアリティの話を含めた「生きることについての講演」をしていきたい。それでもニーズがあるなら、ぼくはきちんと対価をもらうことに後ろめたさもなく、これからも精一杯顔を出して話をしにいく。


そしてぼくは、2月生死をさまようことになった。がむしゃらに始めた自分が代表をしている神戸IDAHOのクラウドファンディングで様々な意見が飛び交う中、ショッキングな出来事があり、そのあたりの記憶があいまい。ある日ぼくは身のまわりの整理をしていて、大切だったはずのものや、不要ではないものをゴミ袋につめて、もう枯れ果てた涙なんて出ないまま、西日を見つめながら、Twitterの1000人を超えるフォロワーをすべて削除し、自分がフォローしていた人たちもすべて削除して、自分のフォロワーやフォローが「ゼロ」になったことに満足していた。そして大切な友人たちに、団体のホームページに必要なパスワードを送り、親友に「君が幸せだったらぼくは満足だ」とラインした。友人が警察に電話をし、親が家まで駆けつけて、次の日が来ないような気がしたけれど、死ぬ方法が見つからなくてとりあえず寝ていたぼくは、深夜叩き起こされた。そのときのことはこちらの記事に詳細を記している。この時はただ記録に残したくてがむしゃらに書いたけれど、いまは本当に友人たちに感謝している。その時のことも白井先生と会って話したことにすごくつながっている。白井先生は言った。「その時助けてくれたのはコツコツ仲間じゃなかったか?」その通りだ。
ofukumaru.hatenablog.com

今年に入ってからたくさんのことがありすぎて、ぼくは作曲を始め、「友達」という曲が生まれた。そのおかげでいまこうやって生きている。その「友達」という曲の歌詞の一部を載せたいと思う。


傷あとは 見ないふり

何かしなきゃ がむしゃらに


同じ想いをしたくなくて 
同じ想いをさせたくなくて

立ち止まることができなかった



2014年に講演活動をともにしていた友人を自死で失ったこと。阪神淡路大震災のトラウマ。DVのトラウマ。アダルトチルドレンであること。そして性自認があいまいで、性的指向もあいまいであること。ぼくを作るたくさんの要素は上記に書いた2月の事件を起こす十分なほど盛りだくさんだった。
ぼくは立ち止まることができなかった。ぼくは2007年にセクシュアリティについて知り、自身が当事者だと自覚し始めた20歳ごろから、「自責」の念に追い詰められてきたのだと思う。あの時ぼくの言葉で苦しんだ人がいたかもしれない。あの時ぼくが一緒に笑ったことで死んだ人がいたかもしれない。ぼくはセクシュアルマイノリティを通じて「人権」というものに触れ、考え、学び進めていくうちに、それまでの自分の「過去」がグレーになっていくのを感じた。笑いあった高校生活も、涙し合ったボランティア活動も、なんて浅はかで、なんてレベルが低い、なんて視野の狭いものだったのかと「後悔」していた。

白井先生と話していく中で、小学校で部落について学んだときから、小学校5年生でニューヨークの現地校で多文化に触れたときから、芦屋南高校国際文化科で外国ルーツの友人ができたときから、高校の課題で北朝鮮についてレポートを書いたときから、大学で「ボランティア」について違和感を感じていた時から、ぼくはずっと「人権」について考えていたのだと気づいた。

白井先生に、「バイセクシュアルとXジェンダーであることが自分を苦しめていると言っているけど、それは和香の性格や」と言われた。ぼくはバイセクシュアルの調査やXジェンダーについての分析などがないから自分の苦しみはまだ明らかにされていないんだと思っていた。だけど白井先生は続けた。「先生の知ってる和香は中学校の3年間だけやけど、和香の顔で覚えているのは困った顔してるか、怒ってるかが多いで」。
まだ、腑に落ちていないというのが正直な感想。だって、バイセクシュアルだからしんどいことや、Xジェンダーだから生きづらいこともあるはず。だけど、先生の言葉でハッとした。いつもぼくが講演先で話していることを自分自身には当てはめられていなかった。

セクシュアリティと困りごとは切り離して考えてください」ということ。

同性愛だけど困っていない人もいる、どのカテゴリーに当てはまるかわからないけど困っている人もいる。セクシュアリティではなく、カテゴライズすることではなく「困っていることに焦点を当ててください」そう何度も話してきた。


いまはまだうまく言語化できないけど、特性と性格を分けて考えられるようになりたい。

ぼくを作るたくさんの要素。悩みがちで頭で考えすぎる性格。そしてこれも性格だったんだと気づいた。「人権を守る社会を願ってやまない性格」。

元パートナーに電話して必死に伝えたら二人ともすごく納得した。どんなマイノリティの人だって、人権について真剣に考える人もいれば、そうでない人もいる。ぼくたちは「人権課題」について考えること、「世界が平和になること」を考えることに重きをおくタイプの人間だったのだ。すごく単純だけど、いままで気づかなかった。ふたりで話しながら、なんだか今までこんがらがっていたものが少しほどけたような気がした。

白井先生が言っていたことをぼくなりの言葉に置き換えると「天からたくさんのものを与えられたが、ちょっと20代の和香には多かったらしい」ということ。だけど白井先生は言った。「そら倒れるわ」って。頑張ってきたこと、ふんばってきたことを認めてもらえたような気がした。そして白井先生は「20代にどれだけ勉強するかでその後の人生が変わってくる」そんなことを話してくれた。20代、「自分らしさ」を勘違いして社会や周囲に甘える「自分らしさ」ではなく、多様な物事に触れ、感じ、涙し、それは白井先生いわく「勉強」なんやと。20代辛かったけど、ぼくはたくさん「勉強」してきたんだと思えた。つまりは、メンタルタフネスがついた。この31年間で人間として「成長」できたんやろうな、と思えた。もがいてきた10年間。「勉強」やった10年間。知識、知恵、生きる力を蓄えた時間。与えられたものをすべて受け止めて生きてきた。めっちゃ勉強したやんって思えた。白井先生は、「20代に勉強もせんと、なんも考えんと過ごしているやつなんて、どうなん?」みたいなことを言った。確かに。もし、そういう生き方を選択する人がいても、自分はそうじゃない20代を過ごしてよかったと思えた。そんな風に過去を振り返れたのは、本当に初めてだった。

元パートナーに興奮気味にぼくは話し続けた。「ぼくは自分の人生がどんなに辛くても他人の人生を歩みたいと思ったことは一度もない」元パートナーも同意してくれた。たくさん失ったり、得たり、学んだり、転んだり、もがいたりしまくった10年間。生まれてから31年間。受け止めて吸収して、無駄にせんくて、本当によかった。

それでもやっぱり辛い。生きづらい。しんどい。前を向けない日がある。
そしたら白井先生は、
「人権をやる人間が幸福追求権を追求してなかったら本末転倒」
そんなことを言った。
言葉が好きな元パートナーが言葉を置き換えてくれた。つまり、「幸福を追求していない人権家は未熟者」なんだか笑ってしまった。ぼくはいままで何度となく、目の前の人の幸せを願い、ここにいない人の安心や安全を祈ってきたのに、自分が幸福になることには無頓着だった。

人権を大切にする社会を望んでいる人間が自分の幸せを追求していなかったら、人権を語る資格がない。

ぼくは、白井先生の言葉をそう捉えた。ハッとした。人権を語るものとして、なんたること!
そして白井先生は続けた。「この先、わかが男性と結婚して「普通」の女性になろうが、それで全然いい。」バイセクシュアルだとなんだか「普通」の異性愛枠に当てはまることを後ろめたく思ってしまうことを見透かされていたのだろうか。
幸せになること。
それこそが「人権」を語る人に大切なこと。
本当に大切なことを、とても貴重なタイミングで教えてもらえた。24才から教師をしてて定年退職してからもまだ人権や社会について教えている先生に言われたらすごい説得力だった。

「やらなあかん」みたいなプレッシャーがぼくたちにはあった。友人を自死で失った日からそれは日に日に増していって、プレッシャーになっていた。

目から鱗。

ぼくたちには「幸福追求権」というものがあることを忘れていた。

白井先生いわく、40代になるともっと大変になる。20代はホンマにしたいことができる10年、40からはがまんが必要なフェーズに入るらしい。そのために20代、30代勉強していくのだと。その勉強の成果として、幸せを追求するフェーズに入ったのかもしれないと思った。それこそ本当に「人権」について考える時期に。

ぼくはデータにこだわっていた。バイセクシュアルのデータがない。Xジェンダーの困り事が認知されていない。白井先生は、データは大事だが参考にするだけ、こだわりすぎてもいけない。自分の最終判断のためにはあくまでも参考程度にすべきだと言った。

そして、もう一つ忘れられない言葉。
コツコツ仲間を増やしていくんやで。
ガツガツしとったら、口うるさいおじさんやおばさんになる。目立たなくていい、ガツガツしなくていい、時間をかけて地味にコツコツやっていける仲間がいればいい。「きっと大変だった時、コツコツ仲間がわかを救ってくれたんじゃない?」そう言われて、ふと浮かんだ友人達の顔を見て少し泣きそうだった。「いつでも死ねるんやから死なんとって」というようなことを言ってくれた。そうだ、先生も寿命はあと数十年あるのか。

いろんなもんを含めて性格。そして、自分が選択できない特性がある。
性格と特性を分けて考えられるようになりたい。性格で片付けてしまっては「困り事」が見えないため、カテゴライズして「困り事」を見える化して課題を発掘する。

その日書いたわけのわからないメモ。

「これからの幸せのために頑張ってしまっていたけど、いま幸せになっていい。だって明日死ぬかもしれないから。」これからの幸せのために、今苦労するのが当然だと思って生きてきた。いままでは明日死ぬかもしれないから、辛い方向に走ってた気がする。もっと「辛さを味あわなきゃ」みたいな生き方してた。
そんな人は「人権」を語ってはいけない。
そんなことを白井先生に言われた気がした。5年後、幸福を追求したぼくは、また先生と乾杯したい。幸福そうな人を指標にしたい。ガツガツしている人は不幸に見える。かっこいい人権家は幸せそう。幸福を追求してる。あの人も、あの人も。コツコツしている。幸せになっていいって心の底から思っていなかったことに気がついた。「人権」という言葉ばかりみていて「基本的人権」を忘れていた。幸せを追求していいって心の底から思えてへんかった。

うちらはあふれんばかり「勉強」の機会を与えられた。なんかやみくもに元パートナーと「幸せになっていいんや」って言い合った。

次のフェーズなんや。

愛されていい。自分の幸せのため。

しんどいこともせんでいい。もう十分やったから。でもやりたいならコツコツやればいい。

嵐からは遠ざかっていい。なぜなら幸福を追求したいから。

休んでいいよ。

しんどいって言っていい。

無理して笑うことは幸福ではない。

おいしいものを食べていい。

人に頼っていい。なぜなら一人では無理。

一人で追求しなくていい。みんなで幸福を追求しよう。

幸福を追求し合おうと言いあおう。

離れている方が幸福ならば、離れよう。

どっちが幸福?と唱えて、幸福な方を選ぼう。

〇〇との関係で、何が幸福な距離感なのか、追求しよう。

先生は言った。
「AもBもCも幸福を追求しているという部分でつながっているのに、1つでも嫌なところがあると仲たがいするのはくだらない。幸福を追求しているという"人権"を忘れている」

まるでLもGもBもTもと言われているような気がした。なんのマイノリティにでも当てはまるし、マイノリティでない人なんていない。これから先、ぼくは特性に基づくしんどさをうまく言語化できるようになりたい。まだまだわからないことだらけだ。きっとまたこれからも勉強していくんだろう。

先生に、このタイミングで再会できて、本当に良かった。