ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

うつになって3年

2015年の5月に抗うつ剤抗不安剤眠剤を飲み始めてからもう3年なんだなぁ。
2016年の4月までは薬を飲みながら働いてたけど、倒れてしまった。それから一人で過ごせない、歩けない日々が続いて。冬に少し回復し始めたけど、6年半も連れ添ったパートナーと別れることになり、一人暮らしをすることに。
2017年に発達障害だとわかって、自分のコントロール方法について対策を練ってきたけれど。
やっぱり一度身に起こったトラウマは消えないし、ふとした瞬間孤独感が襲ってくる。
未来を思い浮かべられる時間も増えてきた。
だけど、たぶん鬱じゃないひとに比べたら、全然まだまだなんだろうなぁと思う。
疲れが溜まってしんどい夜は、このまま消えれたらどんなに楽だろうと思う日が、月に数回ある。
なにが正常で、どうなれば安定なのか、自分でももうわからない。
焦って前へ進もうとすると、しんどくなる。
前みたいにできると思って行動すると、倒れそうになる。
だからと言って誰かに助けを求めればいいというものでもない。
ただ死なないように生きている。
ただ生きるためにご飯を口に入れている。
みっともなくないように風呂に入って、服を着る。
まるで、自分は普通かのようにふるまいたくて、平気なふりをする。
エネルギーってこんなに少なかったっけ。
昔はもっと元気だった。
しんどいことにも立ち向かい、嬉しいことは全力で喜んだ。
そんなことができなくなってから、刺激を極力避けて生きるようになった。
2016年まで生きることに全力だった。どんなパンチを食らったって、歯を食いしばって、泣きながら前へ進んだ。そしたらある日本当に立てなくなった。
2017年は死なない代わりに生きていたような年だった。死なない代わりに作品を残し、死なない代わりに歌っていた。遺言の年だった。
2018年は2017年に作った歌を歌っている。死ななかった自分を讃えるように。
補足として、自分は「良い子」でいないといけないという呪いにかかっている。辛くても我慢するようになっている。しんどい時ほど平気な顔をするようになっている。
2018年は、鬱とは縁を切りたくて、頑張っている。新しい世界で幸せになりたくて、頑張っている。
死なないために生きることはやることが多かった。生きた証を残すために必死に制作をし続けた。泣きながら叫びながら言葉をつなぎ、制作物にして、安心した。僕は生きてることを実感し、安堵した。死なないことで、自分は「良い子」を維持できる。
2018年は、「良い子」をやめたい。しんどい時は人を頼り、苦しい時は何もかも放棄したい。
だけど、「良い子」は頑張り屋さん。仕事も手を抜かず、社会貢献だってする。いつも笑顔で料理を振る舞う。泣いている人をみたら自分の心を犠牲にして解決策を考えるようになっている。
こんな事を書いている今日は少し「良い子」を放棄してみる。
午前中、頼まれていることをやりきったとき、「しんどい」と思った。
「しんどい」の中身は孤独感や絶望感、無力感、不安、疲労など。外の天気がいいから余計、涙があふれて止まらない。こういう時の涙は一気にあふれてはくれない。ネジが緩んだ蛇口のように、じんわり出てきて溜まったら流れていく。
何か頼まれている時は生きていると思える。
何も頼まれているものがない時は、自分は不要な物だと感じる。そして自ら辛い役割を見つけては生きる実感を手に入れようとする。それをしている時、僕は笑っていない。
なんのために生きるのかなんて、何千年も前からたくさんの賢い人たちが考えてきたことだ。今さらこんな小さなアパートで考えても仕方がない。
だけど
僕はなんのために生きるのかわからない。
大切な人たちがいつか消える恐怖を味わうくらいなら、先に死んでしまいたい。
死んだ人たちの分まで生きなければならないと思って生きてきたけれど、「あなたが幸せになって」と言われると、僕の幸せは大切な人たちが死なないことなので、そのために頑張らないといけないと思ってしまう。だけどそれは違うと言われる。自分が幸せになってこそ、人を救えるのだと。
僕はなんのために幸せになるのかわからない。
僕が死なないことが、周囲の幸せになるから生きている。
僕が笑うことが、周囲の安心になるから笑顔でいる。
本当は泣きたい。
しんどい。
将来も見えない。
いつ襲ってくるか分からない孤独と災害に怯えている。
こんな日は腹も減らず、ただ一日が終わるのを待っている。次の予定のために生きている。
床に転がり、日光を浴びて泣いている。
普段弱音を吐かない分、こんなことをFacebookなんかにあげると過剰に心配されるだろうし、それを迷惑だと感じる自分に嫌悪するだろう。
これが一時的なことで明日になったら何もなかったように振る舞っていたとしていたとしても。
本当はこんな日が日常です。
毎日朝起きて、ご飯を食べて、すべきことをして、夜の孤独が来る前に寝ることが僕の精一杯。
これ以上のことはできない。
初対面のひとに会い、会話をすることができない。
市役所で手続きすることができない。
ハローワークに行くだけで吐き気がする。
誰かに相談することもできない。
カウンセラーさんが「できない」ループにはまったら、「できる」ことを書き出すように言ってくれたが、今日はそれもできない。
右目の涙が左目に入る。
こんなに天気がいいのに、僕は昼ごはんも食べずに床に転がっている。
ギターも歌もやる気力がない。
昨日まで笑っていた自分の写真を見て、安心しようとする。
ひとしきり涙を出し切ったらご飯を食べよう。
「できる」ことリストも書いてみよう。
今日、「しんどい」と言ってえらかったと自分を褒めよう。
誰の「良い子」にもならず、こんな自分を認めてあげたい。