ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

「しなやかに笑っている人はきっと傷跡は数え切れない」晴人/NakamuraEmi

ほんのささいなことだけどふと実感できたことがあるのでメモしておきたい。

タイトルに入れたのは大好きなNakamuraEmiさんの「晴人」という曲のすごく好きな歌詞の部分。

しなやかに笑っている人はきっと傷跡は数え切れない

今日ボイトレレッスンでいつもと違う先生だった。前にも同じようにいつもと違う先生だったことがあるんだけど、先生が良い悪いではなく、ふと気づいたことがあるのでメモしておく。

「コツを掴めばどんな高音でもでるんですよね〜」とさらっといい、腰をひねったり、腹筋を抑えたり、座ったりしながらその「コツ」を見つけていくんだと言われた。

僕は歌がコンプレックス。
一度ポリープになったことがあるくらい喉が弱い。歌も下手。高音になると音がぶれるし、でない。

いつも教えてくれる先生は、教え方がうまい。どうすれば出るのか、仕組みを教えてくれる。それはその先生が声帯学を学んできたということもあるだろうが、もしかすると、先生はもともとそうやって歌えなったのかもしれないと、ふと思った。

そして今日の先生は、きっと最初からうまくコツを発見できたタイプなんだろうと思った。横で鼻歌まじりに課題曲を歌う姿を見て、きっと、歌うのが好きで、「歌うのを好きじゃなかった人の気持ちはわからないだろう」と頭に浮かんだ。

NakamuraEmiさんの歌詞「しなやかに笑っている人はきっと傷跡は数え切れない」というワードを聞いたとき、涙が出そうだった。僕には自分の発達特性上と運の悪さで、嫌というほどトラウマがあり、トラウマが残りやすい体質をしている。

でも今日ふと、20度にもなりそうな天気の帰り道、ボイトレの復習をしながら思えた。

僕のトラウマや傷跡は、誰かを支えたり、救ったり、励ましたり、癒したり、笑顔にしたりすることができるものかもしれないと思った。

ずいぶん前に、同じうつ病の人から「うつは天からの贈り物」という手紙をもらい、過呼吸になるほど泣いたことがある。うつになんて誰がなりたくて神に望んだりするんだと。死にかけ、何年も自由を失う病気。死ぬまでつきまとうトラウマ。

いまでも「天からの贈り物」だなんて1ミリも思いたくないし、僕はその人の気持ちをまだ受け止めることができない。きっとその人は、そう思うことでしか自分を保てないのだろうと想像するような筆跡だったから、きっと状況がすごく悪かったんだろうと思ってる。

きっと歌がコンプレックスで音痴だった人は、人前で歌えない、合唱ができないことが辛い、カラオケで惨めな思いをする、そんな気持ちを知っている。そしてそこから音楽を始めたのなら、どうすれば歌が上達して、楽しくなるのかを教えることができるだろう。

いじめられたりして「はみご」にされた経験がある人は、少しでも集団から浮くことの恐怖感や孤立感を知っている。だから、一人でいる人がそっとしておいてほしいタイミングや、声をかけてほしい雰囲気を察することができるだろう。

ハラスメントにあっていた人は、自分はぜったいそんなことを人にしてはならないと誓うだろう。自分の言葉ひとつで人を殺してしまうことがある事を身をもって知っているから。

トラウマがある人は、別のトラウマであっても過去の出来事に苦しんでいる人がどれほどその人にとって重要なことで、辛いことで、思い出したくもないことで、でも自分にとっては乗り越えたいことでもある、そんな葛藤があることを想像できるだろう。

「しなやかに笑っている人はきっと傷跡は数え切れない」

僕はこの曲を初めて聞いたとき、しなやかに笑う人になりたいと思った。傷跡があってもしなやかに笑うことができるのだと教えられた。

一つの差別問題に詳しかったり、人権意識が高いからといって、他の課題に敏感であるとは限らない。ひとつの指標にしかならない。

だから最近僕はよく思う。

知識ではなく「想像力」が何より大事なんだと。

目の前にいる人、その横の人、見えないその人の大切な人は、自分の想像している範囲外のことを知っているという、自分の無知を知ることが大切なんだろう。

僕は最近、特に自分自身に起こったトラウマやPTSDをひどく恨んでいた。どうして僕だけが。どうして僕は。

だけど、その傷跡が自分や周囲の大切な人を守ることにつながるのなら、少し受け入れる気持ちにもなれるかもしれない。

そんな風に思えた。
すごい一歩だ。