ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

自閉症の〇〇が〇〇しましたとか言うとき

自閉症のひとがやった〇〇とか、作った〇〇とかが、わざわざ「自閉症のひとが」ってつくことにすごい違和感ある。
美大出てようが出てなかろうが、自閉症だろうがそうでなかろうが、アウトサイダーであろうがなかろうが、同じフィールドに立ってない感がある。
パラリンピックもなぜ、パラリンピックなんだろうと思うときがある。オリンピックの種目に入れたらあかんのかな?
最初はあえてパラリンピックとすることが啓発になったり、いいイメージにつながったのかもしれないけど、時代の変化に合わせて変わってもいいのになぁと思う。
自閉症の〇〇が〇〇しました!みたいなイベントとか本とかみると、なんかなんでもそやけど、あえてそのカテゴリーを言うことでなんかなと思う。LGBTだから!とかもそう。あんまりカテゴリー関係ないよって思うことが世の中にはたくさんある。そのひとだから良いんであって、そのひとのカテゴリーはちょっとしたスパイスやと思うんだよな。
小林和香という人間が〇〇しました。そしてあえていうなら小林和香は自閉症であるという特徴と、セクシュアルマイノリティ当事者という側面もあります。しかし、いま皆さんに見ていただきたいのは自閉症やセクマイなのではなく〇〇の部分なのです!!みたいな。

あ、そっか。
あえて言う人は自分の〇〇ではなくカテゴリーをあえて見てほしいのか。ここまで書いてなんか気づいたぞ。でもそのカテゴリーを押し出すことで可能性の話をされると、同じカテゴリーのひともそう見られる啓発にもなってしまうから、注意して使ってほしいなーと。イマココ。