ぼくの見ている世界

Waka Kobayashi/感じたことを記録として書いていきます。

PTSDとセクシュアルマイノリティの活動について

うつは中度だと言われ、PTSDの傾向が強いらしい。

心理テスト結果ではADHDに加えて、自閉症傾向が強いと言われた。

それで、障害年金と精神保健福祉手帳を申請しているけど、

病院を変えて、発達障害よりもPTSDの治療が必要だと言われた。

発達障害の薬も減らしている。

その場合精神保健福祉手帳は何の診断名で通るのか?

発達障害もある場合、2年ごとに診断書を提出しないといけないのか?発達障害のテストも必要なのか?

手帳取得、診断名についてわからないことがたくさん。

自分は何者なのかだんだんわからなくなってくる。「自分は自分」と言えることではなくって。
何が原因でどんな症状がでているのか。
そのためにはどんな治療や対策が必要なのか。

これが目に見える腫瘍なら、取り除くべきなのか、そのためにめまいが起きているかとか、判断ができる。

目に見えない脳神経。
理解もされにくい。

今通っている大きい病院で治療方針を決めているところだから、わからなくて当然なんだけど。ある人には鬱だと言われ、ある人には発達障害による原因と言われ、今回、PTSD発達障害の症状は似ていると知った。

発達障害で片付けていたら分からなかったことがたくさん分かるようになってきた。

そして、PTSDのひとがやってはいけないことが本に書いてあった。「サバイバーミッション(トラウマから生き延びたひとが、トラウマを抱えた他の人を助けることを自分の使命とすること)」。

  • 赤ずきんとオオカミのトラウマ・ケア/白川美也子

「回復とは、被害者でも加害者でもなくなり、サバイバーでもなくなり、そういう一般的な名前ではくくれない"他の誰ともちがう、私でしかない私"になること」らしい。

過去のトラウマ体験を語る活動をし続けて10年近くなってしまって、やっとこの本に出会えた。

セクマイの講演活動はある一定の語り体験は自分を救うことになるだろう。でも、乖離(トラウマ体験に蓋をして痛みを感じなくすること)させてまで続けていると、トラウマは回復しないそうだ。

ひどい体験を語ることが望まれる場にいたり、自分より立場の上の人から求められると、ついつい話してしまう。本当は泣きじゃくりながら作ったパワーポイントのスライドを、平気な顔をして講話する。

そして、病院の先生にそのことを話してみたら、すでに症状はでていたのではないですか?と言われた。講演後立てなくなったり、家で泣き続けたり、動悸がしたり、頓服を飲まないといけなかったりした。それは気持ちを無理やり乖離させたあとの症状だったのだとわかった。

災害やすでに認知されている人権課題よりも、性的指向性自認の話は、聞き手からの2次被害を受けやすかったと思う。

いまはLGBTという言葉が広まり、議員が間違ったことを言えば批判がマジョリティになるような社会になりつつある。でも活動を始めた10年前はまだそんな時代ではなかった。

・性的な話は個人の問題
・自然の心理に反している
・個人的な思い込み
・何が問題かわからない

そんな感想や声が毎回一枚はアンケートに書かれていた。自分のトラウマ体験を涙を堪えて話しても、それを批判されたり受け止められないことは、さらなるトラウマを作っていたのだと分かった。

PTSD(心的外傷後ストレス障害)とは簡単にいうと、トラウマ体験により一ヶ月以上たってもフラッシュバックや、動悸、めまいなどの症状が続いているとつけられる診断名である。

幼少期のトラウマはより強い症状となるらしい。セクシュアルマイノリティの当事者だと気づいていない幼少期の体験もトラウマになるのではないかと思う。例えば、男女どの列に入ったらいいかわからなかったことが日常的に続いたこと。着たくない服装を毎日強制的に着せられたこと。同性が好きなことを隠して自分がおかしいと思い続けた体験。

トラウマが症状としてでていなかったり、回復していたり、対処法を見つけている人にとっては、講演の達成感や自分の話を受け止めてもらえる経験はプラスになるだろう。

でも、そうではない場合。
僕のように吐き気がしたり、その時の体験が生々しく思い出されたりする人は、講演活動を見直してほしい。

たとえ、誰かに「あなたの話を聞きたいひとがいる」と言われて、使命感が湧いてきたとしても。自分にしかできないのだと思ってしまったとしたら、それはトラウマの症状かもしれない。

僕もまだまだ勉強中だけれど、最近こんなことを考えている。

自分がトラウマから回復することを優先していいのだと思いたくても、思えない。

自分が幸せになるのは罪な気がしてしまう。

これは僕の場合だが、
同じ気持ちの人は、それはPTSDの症状かもしれないと考えてみるのもいいかもしれない。


また考えたことがあれば書きます。